趣味で演劇をする人

趣味で演劇を選んだ人は、時間が有り余って仕方ないか、演劇が死ぬほど好きかのどちらかでしょう。

そんな人は趣味にせず仕事にしてしまえば良いんですよ。
趣味でやる芝居なんて中途半端なものしか出来ませんよ。

それでも趣味で演劇をしてる人は多い。
僕もそうです。本来の仕事をしながら週に一度演劇の稽古。月に一度ミニ公演。ていう感じ。

なんでやってるかと問われたら僕は演劇が好きだからで、でも死ぬほどって訳じゃない。上京して下北沢の若者たちと混じって一日中芝居に明け暮れたいとも思わない。

たまたまやりたい事が、声を出す。身体を動かす。人前に出る。物語を作る。だったから、それらが当てはまる芝居をはじめたんです。
草野球チームにはいるとかと同じ感覚で劇団に入ったんです。

そう考えると趣味の演劇の需要ってあるなと思うんですよ。
まず、ストレス解消になる。

声を出して、身体を動かして、人の視線を集めて。
これはいやな事吹き飛びますよ。

あと社交的になれる。
変な人ばっかり集まる業界ですから。
草野球チームと同じといいましたけど、そんなさわやかな人ばっかりじゃないですよ。
あれらと意思疎通できるようになったら大抵の人とは話しが途切れないんじゃないでしょうか

感性が育つ。読解力が身に付く。人前に出るコトが苦じゃなくなる。

大道具はまんま日曜大工だし、美術は絵描き放題だし。
照明は芸術だし音響はDJみたいなもんだし。

面白そうな事はバラバラと転がってる。
趣味としては退屈しなさそうですよ。


もし、何かの縁で演劇を始めたとして。

しばらく続けていて趣味からもう一歩踏み出したら。
もしくは踏み出そうとしたらどうなるか。

まず、お遊びでやってる人を見るとイライラしていきます。
こっちがまじめにやってんのに何だあいつら!?て思います。

自分が勝手に一歩踏み出したのに、踏み出さなかった人にイライラする。
これは、ほとんどの人の性質だし、人間的な感情だから良いことだと僕は思うんですよ。
独りよがりでわがままで、すごく演劇的な考えじゃないですか。

で、一歩踏み出した劇団の稽古は、必ずしも楽しいものではなくなります。
ダメだしはよりストレートに、細かくなっていく。考える事も増えてくる。

具体的な話をします。


2018年6月の第二日曜日に演劇をしました。
「メロスもろもろの話」という、一人芝居で朗読劇でコントという。不思議な芝居でした。

稽古期間は1ヶ月。台本を書いてはなおし、書いては直し。

もっと良くするにはどうしたら良いだろう。と、音響で手伝ってくれた団員に聞くと、その子は、

「今のままでいいんじゃないですか?面白いですよ」

と言った。そんな事無い。
僕が世界で一番芝居が上手いなんてそんなわけ無いんだから、僕が考えた案をもっと良くする方法がきっとどこかにある。

なんでそこで満足するんだ。今のままじゃダメだ。お客さんにこんなものを見せるのか。

大喧嘩。というか、僕が一方的にその子を責めたんですが。
まぁ険悪なムードになりまして。

本番一週間前、頭が冷えて朗読についてより良くするアイディアを思いついた頃、ふとある知り合いの役者兼演出家が言っていた事を思い出しました。

「劇団のトップは常に笑っていないといけない。トップがピリピリしてる稽古は空気感もピリついて、役者が心を閉じちゃう。演劇は開放の芸術なのに、心を閉ざしたら良いお芝居なんかできるわけが無い」

確かに。と思いました。音響も僕自身も心が閉じてしまっていたんだなと。

ああ、よし僕はたとえ心の中では「コノヤロ」と思っても笑っていよう。団員たちを信じよう。と思えるようになりました。

それで作ったものが満足いかない物だったとしたら、それがそのときの劇団の実力なんだろう。

そう思います。

音響の子とは仲直りしました。自分の未熟さをお互い笑って謝りました。
本番が終わってしまえばもう恨みっこなしです。


趣味から一歩踏み出すと演劇は底なしです。ずるずると生活に侵食していきます。それでもいいなら踏み込めば良いし、続けていけばいい。そこはあなたが決める事です。

まともな人は演劇はしないほうが良いです。観て楽しんでください。もともと芝居は観て楽しむものですから。ぜひそうしてください。

でも、これだけははっきりしてます。

舞台上で別の人物として物語に生きた時、人の視線を一身に受けたとき。
飛び上がるくらい気持ち良いですよ。僕はこの感覚を一生忘れられません。

演劇に興味を持った人たちがどういう形であれ、演劇を好きになってもらえる事を願っています。